昭和45年7月25日 朝の御理解      (末永信太郎)    №45-093


御神訓一
 天が下に他人ということはなきものぞ。


 御神訓ですね。他人でないということになりますと、やはり一つの血の繋がりというようなものを、皆それぞれ感じれれることだと、こう思うです。先日から、東京へ参りまして、ニュー大谷と言うんですか。東京で一番最高の、まあ、国際的なホテルですよね。そこのお客さんの八割が外人ばかりだという、まあ、言うならハイクラスの人達ばかりが集まる所です。
 まあ、様々な人種が集まってましてね、同じ色は黒いと言うても、色の黒いのにも、色々やっぱある。白人、黒人。ね、それにいわゆる日本人、と。本当にですね、皆が親切にし合うておりますですね、黒人と白人の人達が仲よう、やっぱ旅行をしてるんでしょう。同じ部屋に泊まってやっております風景などは、なかなか本当に、まあ、他で見られない風景ですけれどもね。
 本当に、こういうように世界中の人達が親身に、例えば他人ではないという頂き方からなって行きゃあ、争いも起こらないでしょうし、争いが起こっても、それは解決が早いでしょうけれどもね。なかなか、その実感というものは頂けません。そこで、まあ、私どもは縁に任せてと、こう申しますかね。縁に任せて、いわば袖すり合うも多少の縁。そこから、縁を、良い縁を結んで行き、良い縁を作って。ね。
 そして有り難いものを、そこから生み成していくような働きをしなければならないと思いますですね。昨夜、日田の綾部さんのところで、まあ、笹屋かながら、大分支部の開設の正式なお届けをあちらのご神前でさせて頂きました。で、御祈念中に頂きますことがでね、もう、「青瓢箪」。いわゆる、今、あの瓢箪がなってましょう今ごろ。あの瓢箪がいっぱいなってるんですよね、御神眼に頂くのが。ね。
 そしてそれがね、その、また次には、あの、太閤秀吉の何て言うですかね、旗印の上に、「千成瓢箪」というのがありますね。あの千成瓢箪に変わって行くところを頂きます。私はその青瓢箪を見せて頂いて、咄嗟に思わせて頂いたことは、難儀な氏子という感じが致しましたね。
 まあ、言うなら、病人の人にと、本当にこの青瓢箪のようにして、色は真っ青になって、もうこの世の人ではないような姿を、青瓢箪のごたる顔をしてあると、こう言うでしょう。ね。また、お金が無くなって、青息吐息をしておる人。ま、様々な意味においてですね、私は青瓢箪を見て、いわゆる難儀な氏子。ね。
 まあ、大分県の入り口でありますところの日田市。それから、また大分中にです、有り難い金光様の御信心の、いわば中でも、なら、合楽の信心が生き生きとしてあちらに広がって行く。ね。ということは、どういうことかと言うと、なら、縁に任せて難儀な氏子が取次助けられて行くことだと、こう思います。ね。
 何とはなしに、綾部さんという方は、その、太閤秀吉じゃないですけれども、女ながらも大変な、まあ、言うなら商売人ですが、商売度胸があんなさる方ですね。あれだけ大きな商売を手広くやっておられる。そのやり方が、なかなかその、いわゆる派手ですね。もう、いわゆる太閤秀吉が(さかい?)なお茶の会を日本全国からの茶人を集めて、茶会をしたといったようなね。
 もう、ちょっとしたことをやるでも、その大変な大きなこと。昨日のそういう、まあ、ご直会風の後を頂きますと、あちらの日田のね、屋形船を二艘つなぎ合わせて、ちょうどそこに、そうですね、やっぱり十畳ぐらいな広さになるんですよ。もう、本当に初めて。そちらへ、いわゆる、あの日田の川にそういう屋形船を合わせた、その、もう何て言うでしょうか。(いすずみ?)船とでも申しましょうか。
 ほれは、もう壮観ですね。あれが(なじっそう?)て言うと、パーッとあの船、川いっぱいに浮かぶんですからね。もう私は、それに乗せて頂く時に、胸がドキドキドキドキ致しました。何か感動を覚えるんですよね。あれはまあ、お金にすりゃあ、もう大した金かかることだろうと思いますね。あの、その、一艘の船を例えば買い切るということだけでも、それに、まあ、立派なおご馳走が沢山その用意されるのですからね。まあ、そういうようなことが、その、もう楽しゅう平気で出ける人ですよね。
 女ながらも、それが出ける人。だから、まあ、言うならば太閤秀吉のような性格の方だから、まあ、あの千成瓢箪を見せて下さったのであろうかと言うて、まあ、お話したことですけれども。ね。いわば、この日田地区に大分地区にです、いわゆる、青瓢箪のような難儀な人達がたくさん、あなたの周囲にはある。それが縁に任せて助けられて行くような、ひとつおかげ。いわゆる、大掛かりな人助けの働きというものが、出来なければならんと言うてお話をしたこと。ね。
 それがです、私は本当に人の難儀が見てはおられない。いわば、他人ということはなきものぞと仰るような、そういう実感がです、難儀な人達の上にかけられる。ね。本当にお道の信心によって助かってくる。まあ、昨日の御理解ですね。助かって下さることを願わせてもらう。おかげで助かりましたと言う人達が出けて行くことを楽しみに。一つひとつ、そういう人達が助かって行く人達の姿が、一つの千成瓢箪。
 いわば、戦えば勝ち、攻めれば取るといったようなその場合に、あの瓢箪が一つひとつずつ増えて行ったということですね。そういう難儀ないわば青瓢箪的な難儀な人達が、一人一人助かって。それこそ、千成の瓢箪のようにです、おかげを受けて行くような働きになって行かなければならない。
 その、んなら、元というのは、いわゆる親切。言うならば、親が子を思うような切なる心。親切とは、そういうもの。ね。親が子を思うような切なる心、それが親切。そこに、ね、他人とは言うまじきものぞと仰る。本当に他人とは思われん。ね。そこに難儀な人達が助かって行く、御神縁に任せておかげを頂いて行くことにならなければならんと思います。ね。
 そこに、いわゆる親切。言うなら、また神心を持ってです、難儀な人達が助かって行く。これは綾部さんだけのことじゃありません、お互いの自分中心に、ね、いわば自分の周囲を眺めてごらんなさい。沢山な青瓢箪がたくさんあるということ。ね。
 難儀な人達が沢山ある。それを他人とは思われんという切実心を持ってです、私はお話をして行き、人の助かって行くことを、いわゆる自分の身内の者が助かって行くような思いで、おかげを頂いて行かなければならない。もともと、この宗教の情操と申しますかね。信仰的一つの情操というものは、そういうものが培われてくることだと思うんです。ね。
 私はもう、だいたい生き物を飼うことが大変嫌いなんです。もう、猫やら犬やら、皆よう飼われる。もう、とりわけ猫なんかは、もう大嫌いだったんですけれどもね。椛目の時分に、もういくら言うても、豊美が大変、猫が好きでしたから、一時は二匹ずつもおりました。ね。
 それがですね、もう嫌で、もう嫌いですけれどもね、私はある時、夜中に起きてお便所に行きよりましたら、その廊下に猫がこう、寝てるんですよ。
 どうも邪魔になるし、またぐって、小さい廊下ですからね、昔のあの椛目の、私どんが休んでおったところから、こう便所の方に行くところの廊下が狭いでしょう。ですからね、もう言うなら、もう蹴たくってから行こうような、だいたい気持ちがするんですけれども。そういう時にですね、フッと自分の心の中に動いたことなんです。蹴ろうと思うてですね、ね、蹴ろうちゅうか、パーッとその、蹴上げるという意味じゃないですけども、そこに邪魔、おりますから、ちょっと足でこうやって、向こうさにやろうと思った。
 というので、思うた時に、私の心の中に動いたものです。それは、はあ、ひょっとしてね、この猫は私の弟の生まれ変わりかも知れんと思いましたね。言うなら、兄さんと言うて、私の休んでおる横の部屋に、猫の姿ではあるけれども、例えばですね。もし、あの、私の側におりたいと言うて来ておるのかも知れん。ね。であったら、もし私が、邪魔になるような思いをしたり、足で蹴ったりしたら、どう悲しむだろうかという風に思うたらね、もう本当にその猫が可愛うなったんです。以来、私は猫が嫌いということは無くなったです。そういう思い方をさせて頂いた。
 これはね、やはり信仰、いわゆる宗教的一つの情操なんですよ、そういう心というのは。ね。これは仏教的によくその、仏教のお話を聞かせて頂いたり致しておりましたから、やはり仏教では生まれ代わりといったようなことをね、申します。あれは、何とか法師でしたかね。ほろほろとなく、山鳥の声聞けば、ね、父かとぞ思う、母かとぞ思うというような、深刻なことになって来るんですね。
 山をこう旅しておる時に、ほろほろと山鳥が鳴いた。ね。ひょっとすると、あの山鳥がほろほろと鳴いておるのは、私を呼んでおるのかも知れん。父が母があの鳥に生まれ変わって、私を見守っておってくれるのかも知れんと思うたら、そのほろほろと鳴く山鳥のその声も懐かしいという、やはり、情操的、宗教的情操だと思いますね。そういうものが育って行くわけです。
 これは、そういう鳥やら獣の上にですらです、そういう情操が育って行くのでございますから、ましてや人間同士のことでございますからね。ね。それも、誰彼ではない、縁に任せてのことなのです。ね。親と呼び、子と呼ぶというようなことは、もう、もちろん大変な縁ですけれどもです。ね。例えば、主従の関係。ね。師弟の関係。ね、そういう様々な縁、関係が出けて参ります、私はその縁に任せてです、そういう例えばひとつの思い方がです、出けてまいりましたら、それこそ猫にですらです、ひょっとすると、これは弟の生まれ変わりかも知れない。
 ほろほろと鳴いておる山鳥の声を聞く、本当にあれは父かとぞ思う、母かとぞ思うと、かも分からないというようにです。そういう心が使えれるということは、私は助かった人の姿だと思いますね。だから、そういう情操を持ってです、私どもは、ね、私どもの周囲にそれこそ蠢いておる難儀な人達の、私は姿の中にです、ね、ひょっとして、そういう、ね、実を言うたら、生まれ変わりであるかも分からない、と。ね、いうような、私はこの見方とか思い方、と。
 そこから、その縁が密なるものになって来る。何とはなしに、いわゆる、親切を使わなければおられない。親が子を思う切なる心を使うて行かなければおられないといったようなね、心が育って行く。そこから、縁がもちろん育って行く。ね。そこから、人も助かって行く。天が下に他人ということは無きことぞ、と。
 これは、大きな見地、ね、大きな見方をさせて頂いたら、確かにそうだろうと思います。元の元の元という風に辿ってまいりましたら、ね、あんたん方とは親戚になるというようになりましょうが。これは、なら、海を越えた外国の人達の上にでも、ほんなら、また、その元の元を辿って行ったら、そういうことになるかも知れません。ね。だから、もちろんこれは、大きな意味で、いわゆる天地金乃神様、天地の親神様の目からご覧になれば、一視同仁。
 どこの世界中の氏子と、こう言うて下さる。その氏子は皆、いわゆる、まあ、腹からとこう申しますね、(どうほう)。ね。兄弟同様、と。そういう、私は考え方がです、段々出けて行くところに、何と言うですかね、世界平和やら、まあ、根本的なものがそこにあるという風に思います。これは、大きく言うてそうです。ね。小さく言うたら、自分の家に買うてある、なら、猫一匹の上にでもです、ましてや、それが人間関係の上においてです、ね、例えばそれは店員さんであろうが、女中さんであろうがです、縁によって結ばれておる、いわば、とりわけ、やはり血が濃いんだ、と。
 ね、袖すり合うも多少の縁と言うくらいですから。ね。何かそこに関係が出ける人は、いわば親戚と言うてもです、ね、本当にもっとも血の濃い繋がりの人達だというような見方をさせて頂き、頂き方をさせてもろうてです。ね。親身のお付き合いと言うか、親身の取次助けられて行く働きというようなものが展開される。ね。その根本が、天が下に他人ということは無きことだから、ということになるのです。
 どうぞ、お互いの周辺にそういう難儀な人達がたくさんありましょう。その難儀な人達の上にです、ね、どういう神様のご神意、ご都合があるやら分からない。ね。そういう、私は縁を生かして行く働きをさせて頂く。その根本になるものはです、ね、親身の心。いわゆる、親切な心。ね。
 というような頂き方、考え方をですね、身に付けて行くということがです、私どもの信心をさせて頂いておるその心の、いわば情操と、ね、信仰的情操という風に申します。情操がいわゆる高められて行くことにもなる。ね。自分の周囲の人達が助かって行く一つの雰囲気とでも申しますかね。そういうものが育って行くことにもなる。ね。
 例えば、切れれば他人といったような、まあ、冷たい言葉がありますけれどもです、そういうことではなくて、縁が出けた限りにおいてです、ね、それを生かして行く働きをさせて頂きたい。ために、一ついよいよ自分の心の中のその情操というものをです、ね、宗教信仰によって、いわゆる、培っていくおかげを頂く。ね。難儀な人を見ておったら、言うなら、ジッとしてはおられないといったような働きかけが出けるようなおかげを頂きたいもんだと思いますね。どうぞ。